戒法門 寛元元年 二二歳
夫れ人は天地の精、五行の端なり。ゆえに悟りありて直きを人といふ。心に因果の道理を弁へて人間には生まれけるよしを知るべし。一代聖教のおきてには、戒を持ちて人間には生まるとおきてたり。
戒ともうすは一切の経論に説かるる数は、五戒・八戒・十戒・十重禁戒・四十八軽戒・二百五十戒・五百戒・ないし八万四千戒。かくの如く戒品多しといへども、始めの五戒を戒の本ともうし候ぞ。五戒ともうすは、一には慈悲を起こして物の命を殺さざる戒を不殺生戒と名づく。道理なき殺生を制するなり。一を殺して万を生かすべきをば許すべし。二には盗みせざる戒を不偸盗戒と名づく。道理なき盗みの事なり。三には他人の妻を犯さざる戒を不邪淫戒と名づく。四には妄語せざる戒を不妄語戒と名づく。よしなきことに妄語せざれとなり。五には酒を飲まざる戒、僻事を制するなり。薬酒をば飲むべし。先世に三宝の御前にしてこの戒を受けしとき、天には日月・衆星・二十八宿・七星・九曜・五星、地には五つの地神・七鬼神・十二神・三十六禽、また梵天・帝釈・四大天王・五道の冥官等、この五戒を受くる人を護らんと誓ひたまひき。
また五戒に依って生ずべき処を定む。不妄語戒は大地をつくる。不殺生戒は草木となる。不邪淫戒は大海・江河となる。不盗戒は風となる。不飲酒戒は火となりて草木の中にあり。
また五戒は五山となる。南には火の山、北には雪の山、東には木の山、西には金の山、中には土の山なり。空の雲も五戒なり。青き雲は不殺生戒となる。白き雲は不盗戒となる。黒き雲は不邪淫戒なり。黄なる雲は不妄語戒なり。赤き雲は不飲酒戒なり。
雨空より降るにまた五つの味あり。すき味の雨・降りては、青き花一切すき菓をいだす。からき味の雨は白き花一切のからき菓をいだす。しわはゆき味の雨降りては、黒き花一切のしわはゆき菓をいだす。あまき味の雨降りては、黄なる花一切のあまき菓をいだす。苦き味の雨降りては、赤き花一切のにがき味の菓をいだす。
また春七十二日は東、不殺生戒。夏七十二日は南、不飲酒戒。秋七十二日は西、不盗戒。冬七十二日は北、不邪淫戒なり。四季の末の土用七十二日は中央、不妄語戒なり。
また天地は父母となりまします。父母交懐の時、父の淫は白く母の淫は赤し。赤白の二渧もろともに五戒より生ず。父母の精血下りて、父の淫は骨となり、母の淫は肉となる。二つの足、二つの手、一つの頭、これも五戒より出でたり。また子の腹の中に肝の臓といふ物あり。七葉にして色青し。母のすき物を願ひしとき出で来たる物なり。その中に魂といふ神あり。眼に出でて物を見る。東方の空に歳星ともうす星あり。不殺生戒の人を護らんと誓ひしゆえに子の神となる。また母のからき物を願ひしとき、子の腹に肺の臓といふ物・出で来て、その色白くその形八葉にして蓮華なり。その内に魄といふたましひありて鼻に出でて物をかぐ。西の空に太白星といふ星あり。不盗戒の人を護らんと誓ひしゆえなり。また母のにがき物を願ひしかば、子の腹に心の臓といふ物・出で来て、その色赤く、その形・鶏の卵をさかさまに立てたるがごとし。その内に神といふたましひありて、舌に出でて物を味はふ。南の空に熒惑星といふ星あり、不飲酒戒の人を護らんと誓ひしゆえなり。また母のしわはゆき物を願ふに依って、子の腹に腎の臓といふ物・出で来て、その色黒く・その形半月なり。その内に志と云ふたましひありて、耳に出でて物を聞く。北の空に辰星といふ星あり、不邪淫戒の人を護らんと誓ひしゆえなり。また母の甘き物を願ひし時、子の腹に脾の臓といふ物・出で来て、その色・黄にしてその形一葉四角なり。内に意といふたましひあり。四身に遍してあつき・ぬるきをしる。先世に不妄語戒を持ちし時、中央に鎮星といふ星あり、これ・不妄語戒の人を護らんと誓ひしゆえなり。
ことには不妄語戒をくわしくもうすべし。妙楽大師、提謂経を引いて云はく「不妄語戒は四時のごとし。土は中央をつかさどる。中央は脾をつかさどる。脾の臓は身と土となり・四季をつかさどる。不妄語戒は四季に遍し。身においては五根に遍し」と。五戒を破る中に不妄語戒を破るは罪深き戒にて候。そのゆえは世間の人・妄語し候へば、冬は夏になり、春は秋になり候。ゆえに冬・温かにして草木出生して花さき菓ならず。夏はさむくて物そだたず。春・秋もこれをもって知るべし。
当時の世間・是体に候はずや。わざと妄語をさせて世の中を損じさし、人をも悪道に堕とさん料に、天狗外道・平形の念珠を作り出だして、一遍の念仏に十の珠数を超りたり。ないし・一万遍をば十万遍ともうす。これ念珠の薄く平たきゆえなり。
これも・ただもうすにあらず。念珠を超るに平数珠を禁めたること諸経に多く候。繁きゆえにただ一・二の経を挙ぐ。数珠経に云はく「まさに母珠を越ゆるべからず、過・諸罪に越ゆ。数珠は仏のごとくせよ」と。勢至菩薩経に云はく「平形の念珠を以ふる者はこれはこれ・外道の弟子なり、我が弟子にあらず。我が遺弟は必ず円形の念珠を用ゆべし。次第を超越する者は因果妄語の罪に依って当に地獄に堕すべし」云云。これらの文意をよくよく信ずべし。平たき念珠を持ちて虚事をすれば、三千大千世界の人の食を奪ふ罪なり。そのゆえは世間の人・虚事をするゆえに、春夏秋冬たがひて世間の飢渇これより起こり、人の病これより起こる。これ偏えに妄語より始まれるなり。こうもうすとも、この世の中の人は心なをるまじく候へども、また心あらん人はさては僻事にこそあるなれと知らしめんがために経文を挙げ候。
また世間の念仏者、現に夢に智者見えたりけるなんどもうし候ぞ。天狗の見せたる夢なり。ただ道理と経文とを本とすべし。また木・火・土・金・水も五戒なり。木をば曲直といって、まがれるもあり、なおきもあり、少陽とかたどれるなり、ゆえに春生ず。火をば炎上ともうして空へのぼる、ものを熱するなり。五穀の火にあひて飯となるがごとし。太陽とかたどれるゆえに、極めてあたたかなり。土といふ物は社稷といって、万の物をわかし出だすなり。これまた少陽なり。金は禁めとなる。これ少陰の物なるがゆえにかたし。物のおこりを禁むるなり。水をば潤下といって、物をうるをし、やしなふなり。陰の終にはとくるゆえに水なり。
また五行の相生と云ふ事あり。木より火生じ、火より土生じ、土より金生じ、金より水生ず。これは常の人のしるところなり。また水は太陰の物にして、くらかるべき物なり。何の意ぞ、水の底・あかきや。木は少陽の物なれば少しあかかるべし、何の意ぞ、木の中くらきや。火は太陽の物なれば大いにあかかるべし、何の意ぞ、火の中暗きや。土は少陽の物、少しあたたかなるべし、何の意ぞ、ひゆるや。金は少陰の物、少しくらかるべし、何の意ぞ、すこしあかきや。これらは智者の知るところなり、繁きゆえに注せず。
また五行の相剋といふことあり。木の敵は金なり。金は勝ち、木は負くるゆえなり。春と秋とは敵対の季、東と西とは敵対の方なり。火の敵は水なり。水は勝ち、火は負くるゆえなり。夏と冬とは敵対の季、南と北とは敵対の方なり。土の敵は木、木は勝ち、土は負くるゆえなり。木と金と合ふて金のかつことは、堅きと和らかなるとのゆえなり。火と水と合ふて火の水の負くることは、あたたかなるとつめたきとのゆえなり。土と木と合ふて木に土の負くることは、多と一とのゆえなり。土は的のごとし。木は土をとおる時、土・五つにわれ、木は箭のごとくしてとおるなり。
我らが眼は木より生ず。耳は水より生ず。鼻は金より生ず。舌は火より生ず。身は土より生ずるなり。上の五行をもて五根の損ずるを知って、病のありさまを知るべし。また五根の損ずるは、五戒の破るるゆえなり。させる虚事をせぬ人も、あまりにすき物を好めば、舌・損じ身に瘡多し。させる物をば殺さねども、辛き物を多く食すれば眼・損ず。これを以て余の戒をも知るべし。人目には五戒を持ちて貴き様なれども、食物に五戒を破りて三悪道の主となり、人には善を疑はせ、我は仏法を恨む。このごろの世間の人、おおむねこれに似たり。戒を習はんと思はん者、よくよく我が身を知るべきなり。
春七十二日は木勝つゆえに、我が身に瘡・出でて身・かゆし。夏七十二日は火勝つゆえに、我が身・熱して汗たる。秋七十二日は風勝つゆえに、我が身・すさまじく秋風に身損ず。冬七十二日は水勝つゆえに、我が身寒くつめたし。四季の土用には土勝つゆえに、我が身ふとる。また我が身の肉は土、骨の汁は水、血は火、皮は風、筋毛は木なり。また臍より下は土、臍より上・胸さきまでは水、胸さきより上・喉までは火、喉より口までは風と金となり、口より上・頂までは木と空となり、これも五戒なるべし。
また三千世界も五戒を以て作れるなり。火と空とは我が頭と腰となり、大海は腹なり。春と夏とは脇なり、秋と冬とは背なり。大骨の十二は十二月なり、少骨の三百六十は三百六十日なり。口の気は空の風なり、鼻の気は谷の風なり、身の毛孔の風は家の風なり。右の眼は月、左の眼は日なり。髪は星なり、眉は北斗なり。血脈は江河なり、骨は玉石なり、身の毛は草木なり。我が身より一切の人間、ないし依報の国土まで五戒を以て作れるなり。
ゆえに世間に物を殺す事多ければ、東の木星と変じて彗星と成りて空に出づ。このとき春の草木おひとどまる。またこの星・人間に下りて、人の眼より入って眼の病となる。世間に偽り多ければ、中央の土星と変じて彗星と成りて空に出づ。このとき大地やせて石となるゆえに草木おひず。またこの星下りて人の口を病ましむ。世間に盗人多ければ、西の金星と変じて彗星と成りて、空に出づるとき秋の菓すくなし。またこの星下りて人の鼻に入りて病となり、戦あて世の乱れとなる。世間に酒をのむ者多ければ、南の火星と変じて彗星と成りて空に出づ。このとき旱魃ありて草木かるる。またこの星・人身の内に入りて疫病世に多し。世間に邪淫多ければ、北の水星と変じて彗星と成りて空に出づる時、大水・世間に行き、この星・人の耳より入りて身のひゆる病となれり。
五戒破れて世間の五穀・損ずれば、身の五臓もよはくなり、五神も栖を失ふ。このゆえに五つの鬼神・身に入って人の心を誑かすなり。日月の光も失せて天地の禍ひとなり、後生には五戒の大地・破るるゆえに三悪道を栖とす。臨終には顛倒してただこのことにあえり。
上の五戒は名目は提謂経に出でたりといへども、意は止観・真言の道理をもって書けるなり。善導の釈にも仁・義・礼・智・信、地・水・火・風・空の名ばかりは挙げたりといえども、その義理はなし。また浄土宗の学者も知ることあたはず。是体に知らずといふとも、浄土に生まれなんや。暫く小善成仏ともうすは是体に候なり。浄土宗の学者、伝教大師の釈を引けども、末法には持戒の者なしと云ふ釈の意を知らずして、人々を迷はす法門なり。恐るべし恐るべし。
次に定の法門の事。夫れ定ともうすは多くの定ありといへども、先づ出入の気を知るべし。静かなる処に居して、左の足を右の股にかけ、右の足を左の股にかけ、左右の手を合はせてこぶしをにぎれ。大指をにぎりこめよ。口を合はせて鼻より気を入れ、口より気を出だせ。口の気はあたたかにかろし。火と風とのゆえなり。鼻の気はおもくつめたし。土と金とのゆえなり。出入の気は諍はずして出だし入れよ。出入の気さはがしくば、我が身に病有りと知るべし。譬へば煙の清濁を見て薪の生乾を知るが如し。
┌─仁 慈を以て義と為す
春─┤ 眼木青酸木の山雨の味酢し。歳星東に出づ。眼の病あり。
└─肝 不殺生戒
┌─信 乱れざるを本と為す
夏─┤ 舌火赤苦火の山雨の味苦し。熒惑星南に出づ。舌の病あり。
└─心 不飲酒戒
┌─智 偽らざるを義と為す
土用─┤ 身意土黄甘土の山雨の味甘し。鎮星中に出づ。身の病あり。
└─脾 不妄語戒
┌─義 理を以て義と為す
秋─┤ 鼻金白辛金の山雨の味辛し。太白星西に出づ。鼻の病あり。
└─肺 不偸盗戒
┌─礼 敬ふを以て本と為す
冬─┤ 耳水黒鹹雪の山雨の味鹹し。辰星北に出ず。耳の病あり。
└─腎 不邪淫戒
木より火生じ、火より土生じ、土より金生じ、金より水生ず。木の敵は金、金の敵は火、火の敵は水、水の敵は土、土の敵は木なり。
土 水 火 金 木 五行なり
地 水 火 風 空 五大なり
黄 黒 赤 白 青 五色なり
意 耳 舌 鼻 眼 五根なり
□ ○ △ ︺ ☖ 五輪なり
雨の五味の次第のこと。東方の雨はすし。不殺生戒、青・眼・春・草木。南方の雨は苦し。不飲酒戒、赤・舌・夏・火。中央の雨は甘し。不妄語戒、黄・意・土用・大地。西方の雨は辛し。不偸盗戒、白・鼻・秋・風・金。北方の雨は鹹し。不邪淫戒、黒・耳・冬・大海・江河。
五山はすなわち五戒なること。東は木の山、不殺生戒。南は火の山、不飲酒戒。中央は土の山、不妄語戒。西は金の山、不偸盗戒。北は雪の山、不邪淫戒なり。
五常はすなわち五戒なること。仁といふは人を憐れみ、生を慈しみ、物を育くむ心なり。義といふは事の謂はれを違へず、邪なることをなさず、万事に理を失はざる・これなり。礼といふは父を敬ひ、母を敬ひ、天道仏神を貴び、ないがしろにせざるをいふなり。智といふは事のあり様をよく知りて、善事・悪事をわきまへ、作すまじきことをなさず、作すべきことをなす・これなり。信といふは事において誠をいたし、僻事をなさず、心の底に思ひ解くる・これなり。また仁は不殺生戒、物を憐れむゆえに物の命を断たざるなり。義は不偸盗戒、万の理を失はざるゆえに、人の物を主に知らせずして我が物とせず、また押しても取らざるなり。礼は不邪淫戒、淫は必ず礼を破る。愛心あればさるまじき人なれども、邪なる振る舞ひをなす。これを守れば上下濫れず、行法もただしきなり。智は不妄語戒、物のあり様を知りぬれば妄語せず。信は不飲酒戒、心・狂乱せず、すなわち信あるなり。酒は人の心を乱すゆえなり。
私にいはく、この五戒は仏いまだ出世したまはざるときは、外道らもこれを持ちて、天上に生ずと教ふるなり。ただし持・犯ばかりを沙汰して、その上に仏法を聞くことをば知らざるなり。仏・世に出でたまひてこの五戒を持ちて人身をうけて、その上に仏法を聞きて悟りを開くと説きたまふなり。しかればこの五戒にさまざまの功徳を備へて、戒として摂せずといふことなしと説きたまふ。この五戒を根本として大乗の諸戒も具足するなり。ゆえにこの五戒をば具足根本業清浄戒と名づくるなり。この五戒もし破れつれば一切の諸戒、みな破る。五戒は破るといへども、大乗戒は持ちたりといふことはこれ無し。根本戒と名づくるはこのゆえなり。三乗の賢聖も、大小ともにこの戒を持つゆえなり。仏もこの戒を持ちたまひて、人中には出でたまふなり。もしこの戒なくば、浄飯王宮に生まれて菩薩といはれて、六年苦行して仏となり、大丈夫の身といはれたまふことあるまじ。
一切衆生も五戒に依らずといふことなし。魚に五つのひれあり、これすなわち五戒の体なり。馬に四支あり、また一頭あり、これ五戒なり。これに準じて一切衆生を知んぬべし。三悪道の衆生も知んぬ、五戒の体なりといふことを。戒は破るれども戒体は失せずといふことをば、これを以て意得べきことなり。破戒と失戒との・かはりめをば、これらにて思ひ合はすべし云云。つらつらことの情を案ずるに、山川・谿谷・大海・江河・土地・草木、一切何物か五戒の体にあらずといふことなし。くわしくは提謂経を見るべし。地獄の衆生も五戒を持つ、餓鬼の衆生も五戒を持つ、乃至云云。地獄等の衆生の持つところの不殺生戒も、仏・菩薩の持つところの不殺生戒も、ただ不殺生戒は同じことなり。
ただし所持の法はかはりめなけれども、能持の人には差別あり。ゆえに沈浮もあるなり。しかれども戒体にをひてはただいずれも一つなり。ここをもって一業とはいふなり。是体の謂れをば、法華経ならではえいはぬ事なり。法華経の開会の法門ともうすは、この五戒を開会するなり。経文委しく見るべし云云。
鶏が子をはごくみ、烏が子をかなしむまでも・みな五戒の謂れなり。五戒といふは仏因なり。しかればかかる畜生までも仏法を行ずるにて侍るなり。慧遠法師が螻蟻をも超えずといひけんことも理なり。畜生云云、修羅云云、天云云、声聞云云、縁覚云云、菩薩云云、仏云云、天竺の人云云、唐土の人云云、日本の人云云。文に云はく「他・我に色を恵む、与へざれば取らず。子の色の上に於て仁・譲・貞・信・明等の五戒・十善を起こさば人天の四運なり」と。余色といふは九界の身なり。余塵といふは九界の財物資生の具なり。余界といふは九界なり。「他・我に色を恵む、与へざれば取らず」といふは人界の事なり。これすなわち五戒なり。提謂経に云はく「五戒は天地の根本、衆霊の源なり。天これを持って陰陽を和し、地これを持って万物を生ず。万物の母・万神の父、大道の元、泥洹の本なり」と。
蓮 長
(投稿:令和7年8月9日)
(更新:令和7年8月10日)
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