開目抄の誓願は折伏布教の心地(しんち)を示すもの

日々の雑感

以前の誓願への認識

今年の2月、朝夕の読経唱題の前に宗祖・日蓮大聖人の「形見」である、『開目抄』を拝読し始めました。三大誓願はよく知られていますが、その前後は日蓮正宗第26世・日寛上人は
「法華経の行者の心地(しんち)を結示す」
と警句され、末法に法華経を修行する者にとってもっとも重要なご指南であるとされています。

4月に御祈念していたときには、わたしは迂闊にも三大誓願が折伏布教の誓願としての、御本仏としての総誓願であるとは感じていませんでした。それが下記の記事に顕れています。

しかし、5月に菩提寺で、所属信徒の総登山がありました。なぜかわたしは奉安堂の、縦に三列ある席の中央の席、それも前から5番目の列の真ん中あたりに座ることになり、大御本尊様のお姿と、御法主・日如上人猊下をはじめとする御僧侶方のお姿を感無量の有り難さで、至近距離から、拝することが叶いました。

お題目を唱えながら必死に御祈念したことは「わたしの瞋恚・イライラを、慈悲で完全に覆蓋(ふがい)なさしめたまえ」でした。『開目抄』の御金言や、わたしの誓願を祈ろうとすると、途中から頭が真っ白になってしまい、祈ることができませんでした。

誓願への認識があらたまった

御登山の翌日以降、読経唱題で『開目抄』の御金言を祈ると、

「三大誓願は折伏布教の誓願なんだ」
「自分も折伏布教をさせていただきたい」

という教化弘通の情熱と気魄が、肚の底から轟轟(ごうごう)と湧き上がってきました。つい先日までは
「折伏の目標は数じゃない、数では表せない」
と考えていたわたしが、一転して
「自分も一年間に5名の入信を叶えたい」
と誓願するようになったのです。これには自分もびっくりしました。

今の誓願の内容

今の誓願祈念の観念文を示します。感じているのは「内在性解離と睡眠障害が確実に快方に向かっている」という功徳の顕れです。主治医と相談して、トランキライザーの減薬が始まりました。53歳までに診断名が撤回されれば、出家得度の夢が叶うのです。

心如、誓い奉る総誓願:

我が命を賭して、久遠元初自受用報身(くおんがんじょじじゅゆうほうしん)如来の総誓願を、我が総誓願とさせていただき、断じて成し遂げ奉る。

一、衆生無辺誓願度

一、煩悩無数誓願断

一、法門無尽誓願知

一、菩提無上誓願証…已上、四弘誓願の同時成就を断じて成し遂げ奉る。

宗祖日蓮大聖人、『開目抄』に法華経の行者の心地を示して云く

「詮ずるところは天もすて給へ、諸難にもあえ、身命を期(ご)とせん。身子(しんし)が六十劫の菩薩の行を退せし、乞眼の婆羅門の責めを堪へざるゆへ。久遠大通の者の三・五の塵をふる、悪知識に値ふゆへなり。善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし。大願を立てん。日本国の位をゆづらむ・法華経をすてヽ観経等について後生を期(ご)せよ、父母の首を刎ねん・念仏申さずば、なんどの種々の大難出来すとも、智者に我が義やぶられずば用ひじ・となり。其の外の大難、風の前の塵なるべし。

我・日本の柱とならむ、

我・日本の眼目とならむ、

我・日本の大船とならむ…等と誓ひし願やぶるべからず」と。

『開目抄』にまた云く

「我並びに我が弟子、諸難ありとも疑ふ心なくば、自然(じねん)に仏界にいたるべし。天の加護なき事を疑はざれ。現世の安穏ならざる事をなげかざれ。我が弟子に朝夕教へしかども、疑ひををこして皆すてけん。つたなき者のならひは、約束せし事をまことの時はわするヽなるべし。妻子を不便とをもうゆへ、現身にわかれん事をなげくらん。多生曠劫(こうごう)にしたしみし妻子には、心とはなれしか、仏道のためにはなれしか、いつも同じわかれなるべし。我・法華経の信心をやぶらずして、霊山にまいりて返ってみちびけかし」と。

心如、誓い奉る別誓願:

一、宗祖日蓮大聖人・開山日興上人・第三祖日目上人以来八百年、本門戒壇の大御本尊と血脈付法を承継してきた歴代の御法主上人に帰伏し、我が総力を上げて日蓮正宗宗門に仕え奉る。

二、日蓮正宗本顯寺住職の指導を通して御法主・日如上人猊下の命題に随い奉る。

三、本顯寺支部の命運を賭し、御法主・日如上人猊下の総誓願を本顯寺支部の総誓願としてこれを引き受け、断じて成し遂げ奉る。

四、折伏五名を心如の一ヶ年の弘通目標として、断じて成し遂げ奉る。

五、仏教説話の研究・ノベライズを通し、五重相対して仏教の因縁譚を説き顕し、現代説話文学という文学の一つのジャンル・潮流を確立する。

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