ジェンダー(ノンバイナリー)の公表と経緯

プロフィール的なもの
Stable Diffusion XLにて生成

X.comのプロフィール欄に「性自認は #ノンバイナリー。」と書き加えました。この記事では生い立ちから見たわたしのジェンダーについて思うところを少し書こうと思います。

不安定なジェンダー

わたしは幼稚園のころの思い出はあまり良いものがありません。常にイライラして、周囲に暴力をふるったり、モノにあたり散らしたりするようなワイルド・ボーイでした。

それが現在の住所である千葉県の某ベッドタウンに引っ越しして、いじめられたり、からかわれたりするようになって、ジェンダーに混乱が起きます。

まず、好きな女子が特定の一人ではなく複数人いるということが、いじめによって強制されるようになります。
また、今まで誰にも打ち明けたことはありませんでしたが、男子の友達の中に美男子でヤワヤワとしている人がいて、その男子児童との性的な一体化を夢想するようにもなってしまいます。

小学校4年生のとき父親の転勤で一時的に静岡県に引っ越ししました。転校先は学校挙げてコーラスに取り組んでいて、わたしは女声低音域、つまり「アルト」のパートに配属。ジェンダーが不安定になっていきます。その後、小学校を卒業し、千葉県に帰ると中学校では女性しかいないコーラス部に男子一人で入部し、やはりアルトに配属されます。

ジブリのアニメや、高橋留美子さんのアニメに感化され、しまいには
「女性として生まれていた方が幸せだったのではないか」
「この肉体を仏法の功徳で完全に性転換できるかもしれない」
と考えるようになり、思春期の独り身を不安定なジェンダーで過ごすことになります。

カルト「顕正会」のメンバーとして幹部のSさんにあこがれて

高校のときにカルト「顕正会」に入りましたが、数のノルマを達成することしか考えていない末端幹部・峰岸まさるのもと、布教勧誘に隷従させられるようになります。

その末端幹部の上にはSさんというシゴデキのエンジニアがいて、御書全集も自分で読みこなす信・行・学兼備の方でしたので、「将来的にはSさんのように教学に長けた人材として、組織からも信頼されるようになりたい」と考えるようになりました。(※Sさんも今は日蓮正宗の信仰に復帰しています。)

そして、両親・家族が顕正会の信仰から離れたのをキッカケに、幹部の手引きで東京都に引っ越し。そうなると顕正会の東京会館に毎日のように通うようになります。

コーラスで鍛えた腹筋で大声をはりあげ、周囲の迷惑も知らずに勤行唱題に取り組むようになると、ジェンダーは一時的にシス男性に戻ったようになりました。

ジェンダーの再不安定化、精神障害の発症と、強制帰省

一度、末端幹部として会合の当日に参加できる役職「班長」に抜てき。しかし、布教ノルマをなぜこなしていかなければならないか、納得できないわたしは顕正会の価値観に対して違和感を覚え始めます。だんだんと会合をすっぽかして仕事にのめり込むようになり、役職も解かれてしまいます。

仕事もだんだんと高度なレベルの要求に応えなければならなくなり、睡眠不足が続くようになりました。

そんな中、浅井昭衛さんは会合で「恋慕渇仰(れんぼかつごう)の信心」、つまり「御本尊に恋愛感情をぶつけていく実践」という方針を打ち出します。恋愛経験がないわたしは、ユーミンや宇多田ヒカルさんを中心に女性ボーカルのラブソングにのめり込み、女性的な恋愛感情を会館の本尊にぶつけるようになっていきます。

睡眠中に藤里あつやという男子部の隊長との性的な交渉をたびたび夢の中で見るようになり、わたしは「隊長は御本尊様と自分を結んでいるのだ」という妄想に取り憑かれるようになり、二十代半ばで「内在性解離」を発症してしまいました。

当初は誤診でリスパダールというトランキライザーが処方されました。「意識の内側にある人の声のようなもの」が「幻聴」であるとされてしまい、通院のたびに医師に「声が落ち着きません」と訴え、リスパダールの量がどんどん増えていきました。

職場でも腕や肩が震える副作用が出てしまい、ついに会社を休職することになります。顕正会の本部の判断で「実家に帰せ」と指示が出て、千葉県の実家に帰省させられてしまいました。

しばらくは実家で休養していましたが、リスパダールから別の薬に変わっても「声」は落ち着きませんでした。末端幹部の三原哲也という人の顔と声が解離人格として思い浮かぶようになり、わたしは自分の女性的な側面を意識するようになりました。

SNSで知り合った行動右翼と夢の中で

実家に戻ったわたしには「mixi」と「Twitter」と「Facebook」、そして「Googleプラス」というSNSのワナが待っていました。また、千葉会館でニセ本尊を写真に撮ろうとして見つかって、顕正会の建物に対する出入り禁止が言い渡され、組織の人間関係から離れました。

SNSで知り合いを作ることに夢中になり、将来的に布教勧誘できればと考えていました。しかし、人間関係を広げることはわたしに副作用をもたらします。行動右翼や、筋肉モリモリのひきこもり、哲学愛好家などと知り合うようになり、自分の信じていたものに確信が持てなくなっていきました。

顕正会員としてのアイデンティティだけでなく、世界のあらゆるものがだんだんと崩れゆくのを感じました。

迷いましたが、決意して日蓮正宗末寺の門を叩き、顕正会を脱会しました。

顕正会からの除名=死刑宣告、そして顕正会「男子部」組織との断絶

そして隊長の市橋直人から除名処分が電子メールで送られてきました。

高校生のころから人生のすべて・生存のすべてが顕正会の中に包含されていたわたしには、その電子メールはわたしの肉体・精神のすべて、わたしの時間・空間のすべてを否定し、「オマエは生きるには値しない」という死刑宣告のようなものでした。

いくぶん迷いもありましたが、布教勧誘のアポイントメント取りから解放され、日蓮正宗の寺院で「南無妙法蓮華経 日蓮在御判」の五字七字がしたためられた御本尊様を拝むことができる「有り難さ」を感じていましたので、顕正会の組織には戻りませんでした。

変わらないものは「ジェンダーが変わるということ」

それから十数年が過ぎました。その間、いろいろなことがありましたがその話は別の機会に譲ります。昨年、ADHDの標準治療が始まりました。わたしは「アトモキセチン」を服用していますが、性格・人格が変わったようになってきています。

ただ、変わらないものもあって、それは「愛情を一人にふりむけることが難しい」ということです。最近は、あまり悩まなくなりましたが、性的に人と関わっている人格と、それを外から見つめている人格が別で存在しています。また、性的なことがらについては頻繁に思考が変わります。

つまり、「ジェンダーが変わる」ということはADHDの治療の前後で、あまり変化がないのです。
よく分かりませんがこれが「ノンバイナリー」というものではないかと考えています。

今、わたしは解放感を抱きしめています。特定の異性への恋愛感情に執着する必要がなくなったことは「さいわい」としか言いようがありません。特定の人間に執着することはわたしにはできません。同性でも異性でも、広大無辺な愛情をふりむけて接することがわたしには必要です。

人生において特定の人間に対してセクシャルな愛情をふりむけ、しばられることはわたしには必要がなくなったのです。

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