ブログ『心ハ巧ミナル絵師ノゴトク』へ来訪いただき、ありがとうございます。
ブログ名の由来―唯心偈
ブログ名の意味は
「天地法界の、無始から無終にいたるまでの森羅万象が具(そな)わっている、人の心の不思議な働きのように、言葉をつむいでいきたい」
という意味です。
もともとの出典は仏教経典『華厳経(けごんきょう)』の「唯心偈(ゆいしんげ)」と呼ばれるもので、わたしは日蓮正宗第26世日寛上人の『六巻抄(ろっかんしょう)』で知りました。
『六巻抄』に引用されている「唯心偈(ゆいしんげ)」の引用部分は
「心は工(=巧、たく)みなる画師(=絵師、えし)の種々の五陰(ごおん)を造(つく)るがごとく、一切世間の中に法として造らざること無し」
です。
この「心は巧みなる絵師の如く」の本来の意味は
【天才的なアーティストは、絵を描きつけるキャンバスに、対象の精神的・スピリチュアル的な部分と、肉体的・物質的な部分のすべてを描き出すことができる。それと同じように人の心というものはこの世の中の一切の森羅万象を、誰にもせきとめられることなく、誰にも妨害されることなく、自由自在に作り出しているのである】
ということです。
人の心の、わずかな雑念にすら、天地法界…宇宙のすべてと言ってもかまいませんが…のすべてが備わっているという仏教の法理、これを「一念三千(いちねんさんぜん)」と言います。
一切の因縁を乗り越えて衆生を仏果に導く、法華経の誓願と救済
タイトルにもあるように、この記事は「仏教文学のキモとは何か?」がテーマです。わたしはそれは
「過去世界からの因縁」と「過去世界からの因縁をどのように最終的に解決していくか」
ではないかと考えています。
難しいことはありません。『魔法少女まどか☆マギカ』の最終局面で放たれる、鹿目まどかの「願い」を思い出してみてください。
「全ての魔女を、生まれる前に消し去りたい。全ての宇宙、過去と未来の全ての魔女を、この手で」(画像引用元:https://zero-animelife.com/mado-magi)
まどかのこの「願い」は、インキュベーターであるキュウベェによって叶えられ、因果律―つまり因縁というものについての根本の法則―が書き換えられるほどの革命的な変化を宇宙に引き起こし、まどかは「円環の理(えんかんのことわり)」という非人格的な存在となってしまいます。
では、リアルなこの天地法界、つまり大宇宙に、
「一切の因縁を乗り越えて、宇宙の始めから宇宙の終わりまで衆生を救済し続ける」―そのような存在が《ある》のでしょうか?
その問いこそが、このブログのテーマです。
この記事ではその問いに対して直接的に回答は示しません。このブログは仏教説話文学の現代的な復興・興隆をめざして、登場人物の過去世界からの因縁と、その解決を示した仏教文学の魅力を少しずつ少しずつ学び、自分向けのノートとして記録していきたいと考えています。
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